森を守り育てていく仕組みと鎮守の森

伊達家御用達の木材を提供していた南三陸。

南三陸で300年続く株式会社佐久を経営している佐藤久一郎様のコーディネートで、森を歩きました🎄

あ!朱色の祠なのかな?

まわりに木が茂っていていかにも神様が住んでいそうだよ。

案内してくれた佐藤さんの説明によると「鎮守の森」についてwikipedia(ウィキペディア)やAIを調べても、どこにも納得する説明が出てこないそうです。

 

佐藤さんが言うには

「縄文時代の記録にある通り、日本の国土はむかし森でした。

最近よく熊が出た、猪が出たと話題にのぼるが時を遡れば、我々は森に住んでいる狩猟民族だった。」

ん僕もそう習ったよ。

私たち人間は、森をお借りして寝泊まりして木の実を食べ、時にご馳走として自分の身を危険にさらし、命を頂戴していたのですよね。

 

食べ物がなくて飢えることも多かったから、森を伐って、計画的にいろんな食べ物を育てるようになりました。

水をひく、道を作る、農地を作る!

どんどん自然を自分達にんげんの都合の良いように 作り替えていきました。

 

その時、先祖様達はそこにある森の一部を残し、生態系を保存し「鎮守の森」とした!

「鎮守の森」であることを示すために祠を建て祀ったと、ほとんどの書に「神社の回りに森を作った」と書いてあります。

でも、ちゃんと考えれば森が先か、神社が先か見えてきますよね。

それだけ自然は尊いものだとつくづく思います。